ゆがみの行方 
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 考えに耽っている内、歩みはかなり進んでいたらしい。ふと意識を外界に戻すと、獣の向こうに池が見える。確かこの小山には、麓近くに池があったはずだ。以前、何かの折に赴いた事があり、その池の場所を私は知っていた。その記憶が正しければ、知らぬ間に山の反対側まで回って来たという事になる。結構な距離を歩いたものだ。上っていたはずの階段も、いつの間にやら下りになっている。この不注意具合でよく夜の背に置いていかれなかったものだと、我が事ながら少々呆れてしまった。
 獣はといえば、相変わらずの迷いなき足取りで道を辿っている。少しすると階段はなくなり、池に真っ直ぐ続く緩やかな下り坂となった。階段から坂へ、上りから下りへと変化したものの、獣の歩調は変わらない。私の方は、坂になったお陰で多少歩き易くなったものの、下り故の妙な加速に気をつける分、寧ろ上りの時より歩みが遅くなっている気がする。感覚上のみならず実際の距離までが、夜からやや遠ざかる。これでは手がどうの、身体がどうのと言っている場合ではない。獣の背を追うことだけを考え、足を動かした。

 池の前の、やや開けた場所で私は漸く遅れを取り戻した。追いついたことに私がふと安堵した途端、黒い獣の尾が不意にゆわり、と眼前で揺れる。その事に私が目を見張るうち、闇色の獣は最前と変わらぬ歩調で、池の方へト、ト、ト、と歩いてゆく。池までの距離は幾らもない。あっという間に水際まで進み、そして。
 夜はそのまま、池へと姿を消してしまった。
 飛び込んだのでも、ましてや溺れたのでもない。まるでそこに池がないかのように、地面から水底へするすると歩んで行き、そのまま水面下に姿を消してしまったのだ。私が最後に見たのは、黒い尾の先だった。身体が総て水中に消えた後、水上にはすっと伸びた尾だけが残ったのだ。しかし、それも時を待たず没していき、やがて先っぽまでほとりと見えなくなった。水面にはひとつの波紋も見えず、少しの水音もない。獣がそこへ姿を消したことなどなかったかのように、水は沈黙していた。
 茫然として、私は池へと近付いた。徐に水際に寄り、そっと腰を落として水中を覗き込む。案の定、そこには何の獣の姿も見えなかった。水はただ、暗く沈んだ色をしている。恐る恐る、その水に手を浸す。ほんの僅かに波紋が立ち、すっと水面に広がってゆく。浸した手に感ずる夜明け前の水は、冷たく、硬い。
 私はそっと手を引いた。また小さな波紋が水面を渡り、指先から落ちた滴が、さらに波紋を生む。波紋の渡ってゆく様に目をやってから、私はゆっくりと、静かに腰を上げた。

 池を離れ下山する途中、ふと見上げると、東の空が微かに白んでいる。もうあと幾らもすれば、日が昇り、硬かった池の水も少しは弛むだろう。木々に囲まれた池にどれほど陽光が当たるかは判らないが、或は水底まで届く事もあるのだろうか。
 山を出た私は、徐々に明るく、軽くなってゆく空気を感じつつ街を抜ける。

 家に着く頃には、夜はすっかり明けていた。


〈了〉




15:52 夜(連載) comments(0)
 歩く度、カサリと葉の鳴る音がする。木々から剥がれ落ちた葉が、辺り一帯に降積っていた。雨にも数日降られていないのか、音の響きは乾いている。空気を挟んだ落葉の層は、足を乗せればやわりと沈む。しかし腐葉土というわけでもないから、足裏から伝わる感触は軽々しいものだ。カサリ、カサリと音を立てつつ、延々続く茶の陰翳を踏締め、山路を上ってゆく。
 路は階段とその踊り場が組合さって続いている。数段の階段の後に長めの踊り場があり、また階段、そしてしばらくすると再び踊り場になる。段数は階段によって区々で、踊り場の長さも区々だ。勾配の急さが場所によって異なるのだろう。路筋も当然真直ぐとはいかず、見通しなど立ちそうもない程、曲がりくねっている。そもそもが何処へ向かうやら皆目判らぬ身としては、その不測さは尚の事、迷込んでゆくような気にさせる。しかしまあ、先を行く獣が人の路を辿ってくれていることを、まず有難いと思うべきなのだろう。
 相変わらず、夜は足音をたてることなく歩いている。私と同じく、当然落葉を踏んでいるに違いないのだが、足元からはカサとも音がしない。歩調に乱れを見せることもない。夜には階段も踊り場も関係がないようだ。無音のまま、ト、ト、トと、軽やかに歩を進めてゆく。
 それに対し、路の周囲は絶え間なく、ざわざわと騒がしい。木々の間を吹抜ける風は、墓地で感じた微風より幾分か強いが、その風によるざわめきであろうか。路脇にほっそりと立つ木々は、利かぬ夜目にも捉えられる程度に姿を現している。しかしその輪郭ははっきりと判るわけではなく、端の辺りは闇に沈み、中心部分だけがぼやりと浮かび上がって見える。それらがざわり、ざわりと身を揺すらせているのが目の端に入ると、どうにも落ち着かない気分になる。周囲のざわめきが、私の身の内にまで棲み付く心持ちがするのだ。
 ざわめきに気を取られるあまり、視線はともすると夜の背から外れそうになる。目を離した隙に木々の間へと入り込まれてしまえば、この獣を見失うのは容易いだろう。せっかく追って来たのだ、ここまで来て置いていかれる事は避けたい。そう思い、周囲に逸れそうになる視線を、今一度獣へと集中させる。

   ふと、その気配というか、獣の背から感じられる何かに変化が起こっている事に気付いた。部屋で私が目覚めた時、目にした毛並みは橙色の光の筋を纏いつつ、黒々と艶めき、脈打つ様に動いていた。その動きには、手で触れずとも身の内にまで伝わってくる程の近しさがあった。しかし今、目の前にある毛並みは、 何処となく遠いように感じられる。別段、獣との距離が開いたという事はない。付かず離れずの距離は相変わらずで、数値として表せるような意味では、遠くなってはいないだろう。だが今、夜の背を見て感じるものは、遠い、としか言い表せない様な、妙な感覚なのである。例えれば、手を自分の身体から出来る限り遠ざけて見た時、その手は腕の長さ以上に遠くあるはずがないのに、遥か先に小さく離れて見える気のする様な感覚。物理的に言って腕の長さには限界があるのだから、手と私はそれ程離れているはずがない。しかし実際には、腕の長さ程度に離れているだけでは不可能である程、手を遠く、小さく感ずるのだ。今、夜に感ずる気配の遠さは、言うなればその様な感覚だった。
 それはもしやすると、基点となる私を、私の身体と同一の処に置いているせいであろうか。先の例で言えば、手が身体から離れているのではなく、私が、私の身体より手からずっと離れてあるせいで、手を遠くに感ずる、という事ではなかろうか。とすれば夜を遠く感ずるのも、私の身体が保つ夜との距離より私の方がずっと遠くにあるせいという事だ。
 だが、否、今私は、夜以外のものに対し遠いという感覚を覚えてはいない。もし私と私の身体が一処にないとすれば、この闇色の獣以外のものに対しても遠さを感じているに相違ない。だからやはり、この獣の身に変化が起こっていると考える方が妥当だろう。始めに目にした時に伸縮していた位だから、遠さもまた自在に繰ることが出来ても不思議はない。



17:32 夜(連載) comments(0)
近況のお知らせ
 

 現在冬眠中。

 二月下旬頃再開予定。



 ……予定は決定に非ず。



19:15 - comments(0)
             は章文のこ

       いさ下でん読らか右

          の流主がき書横

    るけおに上トッネータンイ

   すでみ試の抗抵なかやささ



          ←  ←  ←


19:16 - comments(0)
暮の西空
 白い真昼の光が、徐々に夕暮れの、黄味がかった色合いに変わってゆく。夕刻の時のうつろいは、空の、光の色味のうつろいである。昼と夜との間にあるこの時分は、色合いもまた総てが間にあって、どれもこれもが移り変わる途上、一時とて止まることがない。だからこそ、どの色もまるで初めて出逢うもののような気がし、感覚が洗われる心持ちがする。
 この時分に散歩をするのが、最近の私の日課である。暮の薄闇に取巻かれた諸々は、昼間には思いもよらなかったような姿を見せる。真昼の白い光に取払われていた何かが、ふい、と顔を覗かせるせいだろうか。同時に、夜には隠れてしまうであろう煌めきも仄かに残っている。夕刻は総ての物があわいに在る。或はこの世とこの世ならざるものとのあわいも、何処からか滲出しているやも知れぬ。逢魔時とは、よく言ったものである。
 ふらふらと行先も決めずに歩いていた私は、知らず駅への路を辿っていた。いま歩く真っ直ぐの路は、やがて背の高い塀にぶつかる。そこを左へ曲がると直ぐのところに下り坂があり、駅へと続く商店街に出るのである。もちろん分岐で別な路を選べば駅へは行かないが、よく使うのはやはりその路で、足は自然と、辿り慣れたものを選取っていた。行手を遮る塀に沿って左へ曲がり、坂へ続く角を折れる。俯き加減に歩いていた私は、そこで不意に強い光に襲われ、驚いて顔を上げた。
 真正面の、空一面の橙色に射抜かれる。否、橙だけではない、紫や紅や朱や桃や黄、そして振分ける事のできぬ間の色たちが、西の空を埋めていた。とりどりに染上げられた薄雲は陰の部分だけが灰色がかっている。ぽつり、ぽつりとあるその陰が、一層周りの色彩を鮮やかに魅せていた。
 光に静かに威圧され、私は暫し、茫然として立竦む。鮮烈な光たちの中心にある、赤みを帯びた黄の塊は、その輪郭を潤ませながら、ほんの僅かずつゆっくりと、しかし着実に身を沈めてゆく。光の妙味は、その僅かな動きに合わせて繊細な変化をみせ、表情を変えていった。中間色の中間色が姿を現し、間の間が現れ、あわいにあわいが重なり、そしてまた新たな色が、光がゆらりと出現する。目に映す度毎うつろいゆく光たちは、やがて私の身体の内に染込み、瞬く間に駆巡っては抜出してゆく。微動だにできずに立尽しながら、私は確かにそれを感ずる。しかし、ひらり、ひらりと身軽に舞躍るそれらを捉えることはできない。私の輪郭を越える度、それらは私の端に触れ、輪郭はそこでゆわり、と潤む。潤んだ側から光が抜出し、ゆらいだ潤みは穏やかに、徐々に輪郭を取戻す。私の身体の至るところで輪郭が、潤んでは形を取戻しているのだった。
 何れ程の間そうしていたのだったか、気付けば日は大分が沈み、西空もかなりの部分が夕闇に覆われていた。ほんのりと残る光の端も、徐にひらひらと闇へ呑まれてゆく。光の塊の最後の欠片が、ふつり、と姿を消した。
 日没である。
 急劇に、闇の色が濃さを増す。我に帰り、私は幾度か目を瞬いた。彩りの影が現れては消える。
 光の時は、終わったのだ。


21:58 - comments(0)
企画参加のお知らせ
「覆面作家企画5」 参加予定Eブロックにて参加中 → 企画終了http://maskwriter.web.fc2.com/5/
覆面作家5バナー

推理期間:9月1日〜10月2日 10月8日
詳細は上記リンクへ。


9/1 続きに意気込みテンプレート回答をアップ。
    参加者の方、よろしければご覧下さい。

   ※感想等は企画用ブログ(こちら)にまとめています。テンプレート回答も転載。
   ※推理内容やご意見等、個別に連絡下さる場合はメールフォームをご利用下さい。

10/9 企画終了。上記企画サイトにて正解が発表されています。
     参加作品(無修正版)はひと月ほど後に企画用ブログ(こちら)へアップ予定。
     加筆修正版は納得でき次第、本サイトへアップ予定。


続きを読む >>
12:11 覆面作家企画5 comments(0)
 墓地に広がる静寂と、その孕むものは何であったのか。獣の後を追いながら、ぼんやりとその事を考える。たしかに静けさであり、落ち着きであったのだが、それ以外の何かが潜んでいた気がしてならない。墓石も樹木も、敷かれた小石でさえも、いうなれば、まるで何かを予感しているかのようだった。現れ出る何かを待構え、息を潜めているかのような。獣が獲物に襲いかかる直前、気配を殺して静止するのと同種の静寂。否、それよりもっと密やかな、落ち着きある静けさであったか。襲いかかるというような能動的な何かより、ただただ何かの瞬間を待受けるような、受身な姿勢が感じられたのだ。とまれ、何を待受けていたのかは皆目わからない。
 あれこれとりとめなく考えていると、知らぬ間に街中を通り抜けたようで、気付けば街の外れまで来ている。夜の歩む先に、こんもりとした隆起が見えた。丘というには大き過ぎるが、山というには少々小さい。精々が、小山といったところであろうか。この小山のことは、日の光の下で遠目に眺めたことはあったが、夜間にこれ程近付いたことはない。暗闇に佇む姿だと、昼間には何とも思わない存在感がいや増して思える。ひとつの灯りも見られない小山には、一切の表情がない。まるでそこだけ切取られ、不格好な穴が空いたかのようだ。微動だにしない黒々とした影の姿で、眼前に横たわっている。
 押しも押されぬ存在感がありながら、同時にそれは、ふとした弾みに動き出しそうでもあった。小山の姿は仮初めで、いつ風呂敷のようにぐにゃりと伸上がり、周囲を呑込み始めるか判ったものではない。呑まれてしまえば私どころか、街でさえひとたまりもないだろう。
 この得体の知れなさに既視感を覚えた私は、不意に、それが夜と出逢った時の感覚に酷似している事に気付いた。あの伸縮、あの変幻自在さと、眼前の影の塊の得体の知れなさは、あまりにも似通っていた。違いはこの影の場合、実際には伸縮も変化もしない事で、今も小山の姿を保っている。圧倒的な存在感も夜にはなかったが、それは夜が小山に比べ遥かに小柄なせいやもしれぬ。視線を外せばどうなるか試してみようと思ったが、近付くうち大きくなる影相手であるとそれも難しい。そもそも、夜を見失わずにそれを試す事ができるとも思えなかった。
 つらつらと考える私に構う事なく、夜は小山の方へ真っ直ぐに歩んでゆく。影は次第に大きくなり、やがて視界一杯を埋めるまでになった。麓に着き、黙して構える影をつと見上げる。不思議なことに、遠目に見ていた時よりもその圧迫感は薄らいで感じられる。今は既に小山へ分け入る入口、遠目には影に呑まれひとつの塊に見えたものが、木や枝、葉、石、土として、ひとつひとつ判別することができる。闇にけぶってはいるが、細部のあることは明らかだった。
 当然の様に、夜はその木々の中へと分入っていった。見れば山道のようなものが細々続き、所々階段まであるようである。ご丁寧にもその道を辿ってゆく夜に続き、私も歩を踏み出した。

18:45 夜(連載) comments(0)
 墓地の中は通路によって碁盤状に区切られ、すっきりと整っている。その通路のうち、獣の歩くのは一際広い、中央を通るものだ。すっと延びるその路は、寺の本堂があるのであろう高台の方へ、緩やかな上り坂になっている。左右に広がる数々の墓所は、私たちの来訪をただ静かに受け入れていた。
 淀みなく先を歩む夜の背からは、相変わらず気配が感じられない。私はふと、それは夜が、周囲の空気に馴染み過ぎているせいであると気づいた。あまりに馴染んでいるため、周囲と夜との境目を感ずることが難しいのだ。もちろん、視界に捉えている限りその輪郭ははっきりとわかる。目の前には一匹の獣がいるばかりだ。しかしひとたび視線を外せば、まるで周囲に解け込んでしまったかのように、そこに夜がいるのかどうかわからなくなってしまう。獣じみているのも姿形だけで、体臭もなければ唸り声ひとつ上げることもない。視覚以外、認識する術がないのである。
 尤も初めはただの黒々としたわだかまりだったのだ、或は本当に周囲に解け出してしまい、私が目を向けた時だけ獣の姿を成しているのやも知れぬ。その毛並みに触れたことさえないのだから、獣であるかどうかも、ともすれば怪しかった。私にできることは、目を離さぬ限りは間違いなく獣であるその背を追うことのみだ。ただ黙々と、付いてゆく。

 通路は本堂へと真直ぐ続いているかと思いきや、やがて右に折れ、ぐるりと大きく迂回してから高台へと向かった。高台の頂へ着くと、ほんの少しだけ、空気がゆれている。微風はどちらから吹いているともつかない程、弱かった。
 広く空いた本堂前の広場を、夜は臆することなく横切ってゆく。少し先にある鐘突台へ向かうと、人の背丈程の高さの台へ飛び乗った。私は横にある階段を使い、台へ上る。広場を背にして立つと、先程通ってきた墓所が一望できた。
 白く浮かんでみえる通路に黒ずんだ墓所、所々にもわりと植わった樹木。広がるしんとした静けさは、この高台に吹く、あるかなきかの微風のように微かな、何かの予兆を孕んでいるかに思える。動き出すのを待つ間の、束の間の静寂のようだ。
 鐘突台の、墓所側の一番端にいた夜は、しばらくそちらを見下ろしていた。しなやかに伸びた背はぴくりともしない。やがて尾を静かにひと振りすると、滑らかに台の上を横切り、階段を下りてしまった。せっかくだし鐘を突いてやろうか、という考えが一瞬よぎったが、あまりに大人気ないので止めておく。そのまま夜に続いて階段を下りた。


21:29 夜(連載) comments(0)
あそこに光が見えるのは
あそこに人がいるからだ

さあ 灯台守よ
灯をともせ



21:45 - comments(0)
青の部屋
 春から実家を出、独居生活を始めた。新居へ越す以前から、家具や小物を少しずつ調えていたのだが、諸々の事に追われ、暮らし始めたいまも部屋の準備を終えられていない。本来始めに揃えるべきカーテンを、先日になって漸く選びに行った程である。店頭で幾つか見本を見つつ店の者に訊いてみたところ、我が家の硝子戸は通常より低い作りらしく、在庫には見合う長さのものがないという。数日かかるが、取寄せることとなった。
 それを待つ間、硝子戸には目隠しとして、大判の青い布を吊るしている。外から日の射す昼間は、布越しの光で部屋が青く染まる。様子を見に来た母なぞは暗いといって布を外していたが、私は案外、この青に身を浸すのを気に入っている。確かに母の言うように薄暗くはなり、また寒色であるから活力を感ずるものでもない。しかしその分、ゆらゆらとした青の中にいると、心身に妙な落着きが生まれる気がするのだ。

 昼過ぎ、食事をした後に青い帳の部屋に寝転がり、少々休む。曇っていても薄明かりは入るから、大概部屋は青い光に満ちている。晴れている日は外の光の方が強いようで、電灯を点けても部屋は青いままだ。
 辺りをたゆたう青に取巻かれ、息を整えていると、ふと、世界がゆらぐように感ずる。青が、周囲のものすべてに侵蝕してゆくのだ。否、何かを害う印象はないから、ただ解け込むと言った方が正しいだろうか。部屋に満ちる青はゆらゆらと漂いながら、天井にも壁にも床にも、触れたものすべてに、すう、と染込んでゆく。
 寝ている私にも、当然青は触れている。青の中にいると、次第に自分の輪郭さえゆらいでくるように思われる。別段痛くも痒くもないのだが、青に肌をなぜられていると、するすると輪郭を解かれ、私が曖昧になってゆく心持ちがするのだ。その感覚は、青が私の内に入込んでいるというより、むしろ私が青の方へ解け出しているといった方が正しいやも知れない。
 青へと解け出た私は、束の間、辺りをたゆたう。ゆうらりとしたその浮遊感は、目眩にも似ている。浮遊の中にある私に重さはなく、前後左右どころか、上下の感覚からさえ解き放たれている。そのぽかりと浮かぶ感覚と、一瞬前の、重力につなぎとめられていた時の感覚との差異が、目眩を起こさせるのだろう。健全な酩酊は、不健全な中毒の香りを漂わせ、私を誘惑する。

 ふらふらと惹き込まれた私は、しかし次の瞬間、只の私に戻る。それは青が去っていったのか、はたまた私が抜け出したのかわからないが、私としては、不意に放り出されたような心持ちである。たゆたう間、浮遊は終わりなきように思われるが、ふと覚醒した時、確認すればものの数分も経っていない。たまゆらの戯れは、風のような軽やかさで去ってゆく。
 浮遊から投げ出された私は、まだ青の残る部屋で起き上がり、不健全な健全へと再び舞戻る。はっきりと輪郭を保つ全てに取巻かれ、自らの輪郭を受入れる。そして、何処かに青の痺れが残るのを意識しつつ、また、地を踏締めて歩むのである。

11:54 - comments(0)
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